神戸市王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタンが3/31に死んだと発表されました。
20年以上愛されてきたタンタンの死に沢山の方が悲しみにくれています。
今回はタンタンの紹介と、日本で愛されてきた歴代のパンダたち、
なぜ日本にパンダがやってきたかなどお伝えしていきます。
中国から初めてパンダが来たのはいつ?
引用:NHK
日本は戦後より中華人民共和国と国交が少なかったようです。
1972年に田中角栄首相らが中国へ訪れ、数日間の交渉により日中国交正常化として宣言されました。
その際に両国の間に国交が樹立された、日中友好の証として中国からジャイアントパンダ2頭が日本へ贈られることになりました。
日本からの贈り物としては国花でもある「オオヤマザクラ」、「カラマツ」の苗木が贈られました。
中国の気候や風土が似ている北海道で育てられてきたものを選び抜かれたようです。
2頭のジャイアントパンダは「カンカン」「ランラン」といい上野動物園で飼育されることになりました。
珍しい動物を見るために多くの方が来園し、2頭の愛くるしい姿に惹きつけられていました。
タンタンがやってきた背景
引用:神戸王子動物園
タンタンは1995年9月16日生まれのメスのジャイアントパンダです。
中国の四川で生まれ、2000年に王子動物園に貸し出しされました。
1973年(昭和48年)に日中国交正常化直後、神戸市と中国天津市で初めての友好都市提携を結ばれました。
その後1981年に神戸港沖の人口島(ポートアイランド)の博覧会に天津動物園から2頭のジャイアントパンダがやってきました。
1992年(平成4年)から12年間日中共同飼育繁殖研究として中国からきたジャイアントパンダを飼育していた。
中国以外では世界で初めて繁殖に成功し、生まれた子を中国へ里帰りさせたという実績あり
1995年に阪神淡路大震災が起きました。
復興の後押しをしたいという思いを中国側が受け入れてくれ、王子動物園にジャイアントパンダがやってきた
オスのジャイアントパンダは復興の願いを込めて一般公募した結果「興興(コウコウ)」と名付けられ、
メスのジャイアントパンダは新しい世紀の幕開けという意味で「旦旦(タンタン)」と名付けられました。
初代コウコウは2010年に死んでしまい、現在飼育されているコウコウは2代目となります。
歴代のパンダたちの名前
日本でジャイアントパンダが見られる場所は3つの動物園となっています。
それぞれの動物園ごとの歴代のパンダをまとめてみました。
上野動物園
和歌山アドベンチャーワールド
引用:和歌山アドベンチャーワールド公式HP
神戸市立王子動物園
引用:神戸王子動物園
ジャイアントパンダはなぜ中国に帰るの?
引用:産経新聞
ジャイアントパンダは1990年に絶滅危惧種として指定されました。
そのため、いかに保護し繁殖させていくかが重要となっています。
ワシントン条約にて国際取引が禁止されており無償で他国へ贈るのではなく、期間を決めて貸し出しという形をとっています。
ジャイアントパンダは中国が所有しているため基本的には5年(最長10年)の期間が来たら中国に返還しなければいけません。
ここ数年ではコロナの影響や航空便の対応などで延長したり、タンタンの体調などで延期されていました。
日本で生まれたジャイアントパンダでは、性成熟する前の2才までに中国に返還する日程をたてます。
ジャイアントパンダの性成熟はオスが6~8才、メスが4~6才で繁殖期は2~5月です。その中の数日間のみでタイミングを逃すと1年見送りとなり繁殖が難しい動物です。
日本でもジャイアントパンダの繁殖に力を入れていますが、相性が悪いと大けがを負ってしまう喧嘩まで発展することも過去にみられたようです。
繁殖期が短いうえに、相性などもふまえると日本の数少ないジャイアントパンダたちの中に居続けることは更に絶滅に繋がってしまいますよね。
まとめ
保護活動などによりもっとジャイアントパンダが増えていき、日本でも見れる場所が増えていくといいですね。
中国へ帰ってしまうのはとても寂しいですが、また日本にジャイアントパンダが来てくれることを楽しみにしていきましょう。
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